イベント情報

オマーン大使館にて講演会「オマーンとイラン」開催

2024-07-08

 

斎藤貢元大使

2024年7月3日水曜日、14時よりオマーン大使館において、駐オマーン・スルタン国並びに駐イラン・イスラム共和国特命全権大使を務められた齊藤貢様による講演会「オマーンとイラン」が開催された。約60名の聴講者が集まり、中東地域に注目が集まる今、その関心の高さを改めて示すこととなった。

齊藤大使の話は、古代からオマーンとイランがペルシャ湾(アラビア湾)を挟んだ隣国として戦火を交えつつも交流が盛んで、イラン・イスラム革命後、他のアラブ諸国がイランを警戒、対立する中でもオマーンはその友好関係を維持してきた事実から始まった。

2002年に発覚したイラン核開発問題以降も、オマーンを介してイランと米国の交渉は行われており、記憶に新しい2023年のイランとサウジアラビア、UAEの関係改善、イランに拘束された外国人開放交渉もオマーンが仲介したと言われており、このことがオマーンの国際的地位を高めてきた、と言う。

一方、イランと米国の対立は、米国が後ろ盾となったシャー(王)独裁体制がイラン・イスラム革命で倒されて以降、米大使館占拠人質事件をはじめ大変に根深いものがある。地域の覇者としてイスラム革命を輸出したいイランと民主主義を唱える米国が対立する中、2023年10月ハマスによるイスラエルへの越境攻撃をきっかけに、イスラエルによるガザ侵攻が始まり、ハマスを支援してきたイランとイスラエルの間に緊張が高まっている。その後もイランの代理勢力とイスラエルの衝突など「闇の戦争」が続いたが、イスラエル軍機(イスラエルは認めていないが)による在シリア・イラン大使館への攻撃により「闇の戦争」の不文律がついに破られたと指摘された。

さらに講演の終盤、話題はイラン最高指導者ハメネイ師の後継者が、故ライシ大統領の事故死により白紙に戻ったことと共に、7月6日のイラン大統領選・決戦投票に移った。齊藤大使は「保守派が油断した点と、改革派ペゼシュキアン氏が現政権への不満の受け皿となった点で票が割れ、決選投票に持ち越した」と分析し、「閉塞感をもつ有権者が投票ボイコットをせず、投票率が上がれば改革派が勝つ可能性もある」と付け加えられた。

講演会直後の7月7日未明、イラン大統領選・決戦投票の結果が出た。ペゼシュキアン氏が、改革派としては19年ぶりに大統領に当選したのだ。投票率は49.8%。過去最低だった第1回投票の40%を大きく上回り、齊藤大使の予想通りの結果となった。まさに機を得た講演会だったと言えよう。

 

2024年度の総会・講演会が開催されました

2024-05-27

 

5月16日、オマーン大使館にて2024年度日本オマーンクラブの会員総会が多数の会員ご出席の下開催されました。

ブサイディ大使閣下

総会は新村事務局長が進行され、冒頭にアルブサイディ大使よりご挨拶をいただきました。引き続いてのジョーンズ会長の挨拶後、プロジェクターを利用した総会本題に入りました。各議題は正面のスクリーンに映し出され、議題紹介、担当理事による説明、質疑応答、議決へと進み、最後に改選された役員が紹介されて総会は滞りなく終了しました。

 

 

 

総会に続いて大川真由子教授(神奈川大学国際日本学部)による「オマーンの最新事情」と題した講演会が行われました。大川先生は、今年2月末に2週間にわたりオマーン現地の調査をされたばかりで、まさにホットな情報に触れられる貴重な機会となりました。

講演は、2020年に即位したハイサム・ビン・ターリク・アール=サイード新国王のリーダーシップによる新体制と国際化に伴う、オマーンの政治経済と社会制度の変化についてのお話から始まりました。若手人材の雇用対策や、今までは家族で介護していた高齢者の社会的なサポートなど、現代日本とも共通する課題があります。新王室は、長子相続を明文化し、近代化・国際化が進む中でSNSで直接情報を発信しています。それに伴って王妃や皇太子の存在感は高まりを見せています。例えば文化面では王妃の影響を受けたファッションが広まっているとのことです。また急速な近代化とSNSの普及と並行するように、初婚年齢の上昇、恋愛結婚や法改正による国際結婚の増加などの傾向も見られているそうです。

  

大川真由子教授

最後にガザ侵攻に対するオマーンでの反応で講演は締めくくられました。。オマーンでは大規模なデモ等は行われないものの、オンラインでの抗議やイスラエル・欧米企業の製品や店舗に対する不買運動とサウジアラビア製品への置き換えなど静かな抵抗が見られたそうです。

米国産に置き換えられたサウジ産清涼飲料

盛りだくさんな内容でしたが、現地で撮影した写真やSNSの著名な発信者の様子も提示され、オマーンの「今」をリアルに感じることができる講演でした。

なお、大川先生は2014年4月以来、10年ぶりにクラブでの講演にご登壇いただきました。前回はオマーンの家庭に実際に滞在したご経験をもとにしたお話でした。この10年の間には、50年近く在位した前国王の崩御と新国王の即位という大きな出来事があり、社会も国民の価値観も大きく変容している様子が印象的でした。

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首都圏と関西で「イフタールの会」

2024-04-07

 

日本オマーンクラブでは毎年ラマダン(断食月)に、日本で学ぶオマーン人留学生を招いて「イフタールの会」を首都圏と関西の二ヶ所で開催しています。ラマダン中は、ムスリムの人たちは日の出から日没まで一切の飲食を絶ちます。日中の断食を終え、最初に食べる食事が「イフタール」です。ムスリムの人たちは日没の祈りを捧げた後、家族や親戚、友人などとイフタールを摂りながら、団欒のひと時を過ごすのです。毎年およそ1ヶ月続くラマダンですが、今年オマーンでは3月12日に始まりました。

首都圏

オマーンクラブでは、母国から遠く離れた日本で暮らすオマーン人留学生にくつろげる環境でイフタールを提供し、また、日本人メンバーとお互いの国や文化に関する理解を深めてもらう交流の場として、3月31日(日)に東京・渋谷区にあるアラビア料理レストラン「ゼノビア」で東京地区の「イフタールの会」を開催しました。

   

1日の断食を終えて午後6時過ぎに参加したオマーン人留学生たちは「ラマダン・カリーム(恵み多きラマダンを!)」と挨拶を交わし、日本人参加者と共にイフタールの会が始まりました。最初にデーツを一口ずつ口に運びながら、徐々に体を慣らしてゆき、料理が運ばれて来るのを待ちました。

その後間もなくしてテーブルに運ばれてきたのは、パセリを主に使用したさっぱりとした風味のサラダ「タッブーレ」と、ひよこ豆のコロッケ「ファラフェル」、羊肉と牛肉の詰め合わせ「クッべ」、茹でた羊肉とバスマティライスにヨーグルトをかけて食べる「マンサフ」、そして羊肉、牛肉、鶏肉の串焼きとサフランライスが添えられた「ケバブ」です。

    

日本人参加者たちは、普段口にする機会が少ないアラブ料理に舌鼓を打ちつつ、オマーンでの主食や、特別な時に振舞われるご馳走、そして日本ではいただきますという表現がアラビア語ではなぜ「ビスミッラー(神の御名において)」と言われるのかなどと、主に文化を中心とした幅広い話に花を咲かせていました。

参加者の中には、4月1日から東京都内での大学院生活を迎える留学生もいて、「ゴミを捨てようと思ったら表示が日本語で理解できず、そのまま部屋に戻ろうとしたところ親切に教えてくれた日本人がいて感動した」という、文化や言語の壁に直面した苦労と人の優しさに触れられたエピソードを聞くこともできました。

また、連休を利用してオマーンへ旅行する予定の日本人参加者は、留学生たちに現地でのおすすめ観光地やレストランなどの情報を聞き、気温が4月時点で30度を超えると聞いてとても驚いていました。

およそ3時間続いたイフタールは幕を閉じ、レストランを後にした参加者たちは駅に向かう途中で連絡先を交換し、「マア・サラーマ(またね)」と挨拶を交わし、再会を約束しました。

日曜日の夕方、異国情緒あふれる場所で文化交流の機会とイフタールを提供した日本オマーンクラブの心温まる「イフタールの会」は、たいへんに意義深いと再認識した次第です。

 

関西:

ラマダーン月も終盤に差しかかった2024年4月2日宵、桜に包まれはじめた京都にて、日本オマーンクラブ主催のイフタールの会(関西)が開催されました。

オマーンからの留学生2名と日本オマーンクラブ会員3名でトルコ料理を囲みながら、和やかな歓談となりました。

マスカット出身のヒダーヤさんは、この春にめでたく京都大学経営管理大学院を修了。来月に帰国する前に参加がかないました。実践的な学びが得られた日本留学には大満足のようで、日本各地への旅行話とあわせて、まぶしい笑顔で思い出を語ってくれました。帰国後の夢もうかがうことができました。

広島大学の修士課程で経済の勉強にいそしむマーリーヤさんは、なんと、このイフタールに参加するために、はるばる広島からバスでやってきたのだとか。オマーン文化に興味津々のクラブ会員3名からの矢継ぎ早の質問にもやさしく答えてくれました。

会話のなかで共通の知り合いがいることが判明するなど、”オマーン”がつなぐ人の輪を実感するような、日本オマーンクラブらしいイフタールとなりました。

4年ぶりにオマーン大使館で祝賀感謝会

2024-03-30

ようやく春めいて来た3月1日、「オマーン大使館祝賀感謝会」が4年ぶりに開催されました。

このイベントは、日頃から大使ご夫妻をはじめとする外交官の方々や大使館職員の方々には大変お世話になっており、日本オマーンクラブとして感謝をお伝えする場として2013年以来毎年開催して参りました。同時に大使館の皆様と会員同士の親睦も目的としております。

祝賀感謝会当日は、受付を済ませ「くじ」を引いて、「くじ」で指定されたテーブルへ参加の皆さんが向かわれました。各テーブルには、大使、大使館の方々、職員の方々がお一人ずつ同席をされ会員の皆さんと親交を深められるような配席となりました。

司会は会員の半澤彰さんが務められ、何と日本語とアラビア語による司会で進んでいきました。オマーンクラブ会長のジョーンズ享子さんより開会のご挨拶で始まり、モハメッド・アル ブサイディ大使閣下のご挨拶のあと外交官の皆様と大使館スタッフが紹介され、クラブから大使館の方々に、感謝の気持ちを込めて記念品が贈られました。

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プレゼンターは理事の柴田芳彰さんと久保田郁子さんのお二人。大使ご夫妻への贈り物は、震災復興の願いも込めて石川県で作られている「九谷焼のデミタスカップ」(北斎の大波と赤富士のデザイン)を。外交官、職員の方々には「豆皿」が贈られました。皆さんとても喜んでくださり、4年のブランクが一気に無くなるとても温かな雰囲気となりました。そのあと、オマーン国を紹介するビデオが流れ、会員の皆さんはオマーンを訪れたいと思われたに違いありません。

 

各テーブルでは、オマーン国の世界遺産の多さ、豊かで美しい自然、日本並みかそれ以上に良い治安の話など様々な話で盛りあがっていました。しばらく歓談しているとお待ちかねのランチタイムです。

メニューは、大使館でお料理教室を開催してくださる大使夫人のアイシャさんが考えてくださったとのこと。残念ながら体調を崩されてしまい当日はご欠席でしたが、開催前日まで準備をしてくださったそうです。感謝の念に堪えません。

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お料理はメインホールの隣の部屋にセットされていました。今回のメニューは、
「アラビア風ドレッシングの野菜サラダ」「フムス」「ピタパン」「ババガヌーシュ」「アラビア香味の魚料理と肉料理」「チキンカレーや日本米のご飯やサフラン入りのお米料理」が出されていました。デザートには「パンプリン」や「デーツ」、もちろん定番のオマーンコーヒーには、カルダモンとローズウオーターが入っていました。彩も美しく、美味しくて、皆さん何度もおかわりに足を運ばれていました。
     

おなかも落ち着いて、コーヒーのおかわりも底をついたところ、大使が各テーブルを回られたり、会員の皆さんも各々のテーブルを離れ、自己紹介をしたり、写真を撮ったり、親睦を深められていました。

「宴もたけなわではございますが」と半澤さんのアナウンスがあり楽しいひと時も終わりに近づきました。閉会のご挨拶は、オマーンを誰よりも愛し、オマーンに尽力をされた、オマーンクラブ名誉会長の遠藤晴男さんでした。最後に1本締めで、4年ぶりの「オマーン大使館祝賀感謝会」が幕を閉じました。

 

あっと言う間の1時間30分でしたが、皆さん楽しい時間を過ごされたと思います。
いつもながら、大使館のスペースをご提供くださる大使閣下、準備をしてくださる大使館の方々、職員の方々に改めてお礼を申し上げます。

今回は51名の会員が参加されました。次回は更に多くの会員の皆さんとお会いできることを楽しみにしております。

講演会「2024年の中東情勢を考える」が開催されました

2024-03-13

 
2024年2月28日、オマーン大使館の厳かな雰囲気の中、中東情勢を考察する講演が行われました。パレスチナの現状を解説する講演者は、東京大学大学院総合文化研究科の鈴木啓之准教授で、会場にはパレスチナ情勢に関心を寄せる多くの参加者が集まり、多少緊迫した雰囲気が漂っていました。

冒頭アルブサディ駐日オマーン大使の強いメッセージが紹介されました。「現在ガザ地区で起こっている事は許し難い」「平和という言葉と行動が伴わなくてはならない」との言葉は、中東情勢が世界的な課題であることを強く意識させられるものでした。

時代を遡り、100年前の第一次世界大戦中のインフルエンザ・パンデミックでの経験に触れることからご講演は始まりました。当時、志賀重昂は「これから世界の情勢は関ヶ原だ」と述べ、中東情勢を「世界的川中島」と表現し、白人と有色人の間の分断を懸念していました。イギリスによるヨルダンとパレスチナの分割から時を経て、2017年末にトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と宣言し5年後に対立が爆発したことなど、写真やVTRを交えながら中東の歴史的背景が詳細に語られました。

その後、鈴木准教授はガザ地区の現状に焦点を当てられました。『10.7』ハマスのイスラエルへの空爆から約5ヶ月が経過し、イスラエル軍によるガザ民間の病院・学校・国連施設への攻撃が繰り返され、多くの犠牲者(ガザの死者3万人、負傷者7万人)が出ているなど、未曾有の人道危機が続いている現実が提示されました。加えて、国際社会や周辺国は足並みが揃っていないことに触れられ、グローバルサウスVS欧米の様相を呈し、国連安保理の決議が出来ず終結への道筋が立たない状況とのこと。

また、鈴木准教授は人道支援の重要性についても言及されました。ガザ地区では、飢餓や感染症が蔓延し、衛生状況も最悪の状態にあると指摘されました。具体的には25万人が呼吸器疾患に苦しみ、安全な水さえも不足し10万人が下痢に苦しんでいる深刻な状況であることに加え、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への資金拠出停止(国連職員の『10.7』イスラエルへの空爆関与発覚による)により国際支援が絶たれる懸念を強調されました。

さらに、周辺への負の波及効果もあり、イスラエルによるレバノンでの戦闘の拡大や、イエメンでのフーシ派に対する米軍の軍事攻撃などが中東全体に更なる混乱を招いているようです。中期的な影響として、中東和平の前提の崩壊、中東世論の「揺り戻し」/米主導による「中東再編」の行き詰まり懸念が益々広がっているとのこと。鈴木准教授は、「この人道危機が早く終わって欲しい、停戦しなければもっと最悪を更新し続ける」と国際社会に停戦を呼びかける重要性を強調し、講演は警鐘と共に幕を閉じました。

講演後は大使館のご厚意で出されたコーヒーとデーツで、鈴木准教授を囲んでの懇親会へと続きました。

  

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